籐のバスケットを使った可愛いベビーカー。双子用にも好評です。

はじめに


(株)東京乳母車 代表取締役社長 横田 建文

(株)東京乳母車 社長  横田 建文

  乃木坂店 店長  横田 晶子


ベビーカーは今、軽量簡易な折畳式ベビーカーが圧倒的主流になっています。「今どき乳母車なんて時代遅れ」と多くの方に思われています。世界中で。

しかし、プスプスを開発した私たち(私と家内)にとって、折畳式ベビーカーが子供にふさわしい乗り物とはどうしても思えません。理由はいろいろですが、ひと言でいえば、「窮屈でかわいそう」だからです。赤ちゃんにも「精神世界」があります。繊細な感受性を持つ赤ちゃんを荷物用カートのようなものに乗せるなんて、大人の都合を押しつけているだけではないでしょうか。

生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えません。言葉も話せません。でも、だからといって「何も感じていない」わけではありません。それどころか、まだ言葉になる前の感性をフル動員して、自分の生まれた世界(=地球)がどういう場所なのかを積極的に感じ取ろうとしているのです。「赤ん坊なんてミルクと排泄がすべて」などと無神経に考えるべきではないと思います。その辺りのことを世界中の人々が誤解しているのではないでしょうか。

(株)東京乳母車は1994年4月に設立され、今年(2015年)で21年目になります。これまでに5,000人以上の方々が乳母車に対する私たちのこだわりに理解を示してくれました。一方で、まだ「乳母車なんて・・」といわれてしまうことがあるのも事実です。

そこで、プスプスがどのような経緯で、どんな思いを込めて開発されてきたのかをお伝えしてみたいと思います。

 

1.妻が見つけた乳母車

私たち夫婦に最初の子が生まれたのは1986年11月です。ずいぶん昔の話になります。

出産が近づいてきたある日、家内が「今日、デパートの催事場で昔の乳母車を見つけたの。古い籐のカゴに大きな車輪がついていてすごくいい雰囲気だった。子供を育てるならああいう乳母車に赤ちゃんを乗せて歩きたい」と言い出しました。何だかよく分からないまま、デパートに問い合わせてみるとイベント会社の企画で入手経路は分からないといいます。しかたなく販売店を探すことにしました。

インターネットのない時代、都内の子供用品店にあちこち電話をしてみました。始めのうちは、すぐに見つかるだろうと思っていましたが、どの店でも「さあ、今どき乳母車を扱っている店なんてないですよ」といわれてしまいました。ほとんどあきらめかけていた頃、出張先の愛知県の田舎道で乳母車を押しているおばあさんを発見!急いで走り寄って声をかけました。

「ちょ、ちょっとすみません。それ、どこで買ったんですか?」

「ああ、これなら駅の近くの荒物屋で売ってるよ」

といわれて拍子抜けです。

あとから知ったのですが、愛知、静岡、三重などの東海地方は昔から乳母車が使われている地域でした。販売店もたくさんあり、電話帳に「○○乳母車店」という広告もちゃんと出ているのでした。「なーんだ。この辺りで探せばよかったのか」と思いながら1台を電話で注文しました。

これが私たちと乳母車のそもそもの出会いです。

始めは室内で

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    「ずいぶん大きいな」送られてきた乳母車を最初に見た時の印象です。畳半畳ぐらいあるんじゃないかという気がしました。当時、四谷にある小さな2DKのマンションに住んでいて、カーペットの敷かれた洋室でベビーベッドとして使うことにしました。部屋に置いてみるとインテリアとして独特の存在感があり、なかなかいい感じです。子供の誕生が待ち遠しくなりました。

やがて赤ちゃんが生まれました。男の子です。カゴの中に寝かせた赤ちゃんは、実に可愛らしく見えます。自然素材の味わいが赤ちゃんにマッチするのです。最初は大きいと思っていたカゴも、赤ちゃんにとっては広々と手足も伸ばせて、ちょうどよいのではないかと思うようになりました。

実家の両親が孫の顔を見に来てくれた時、床よりも高い位置に子供がいるので、あやしたり、手を伸ばして抱き上げたりしやすいと分かりました。乳母車、大活躍。

思い切って外出

最初のうち、家内は乳母車を外には出さず、室内でのみ使用していました。

自分で選んだものとはいえ、「外を歩くのは恥ずかしい気がした」からだそうです。思い切って外出したのは3,4か月経ってから。ちょっとどきどきしながら四谷の街に出たそうです。しかし、いざ外に出てしまうと恥ずかしさなど吹き飛んでしまい、外出が楽しくなってきたともいいます。何日かして「今日、街を歩いていたら、マンションのベランダから「奥さん、素敵よ」と声をかけられちゃった」とうれしそうに話していました。

休日には私も一緒に散歩することが多くなりました。
都内では珍しいものなので通りすがりの人に声をかけられます。

「これ、外国製ですか?」(・・愛知県の田舎で見つけました)

「絵本で見たことがあります」(・・出ているはずはないです)

「これぐらい大きいほうが子供にはいいのよね」(・・これは同感)

などといわれることが多かったです。皆さん、乳母車というものに独特の思い入れがあるようでした。特に、おばさま方には大好評でした。たまに「私もほしい」という人がいて、販売店を教えてあげたこともありました。

「僕の幌を見て!」

長男が1歳ぐらいの頃だったと思いますが、家内は手製の日よけ幌(ほろ)を作って乳母車に付けました。針金を半円状に曲げて骨を作り、そこに青い布地を縫い付けただけの簡単なもので、夏休みの工作レベルです。ただ、籐の茶色と幌のブルーが良くマッチしていて悪くないです。

ある時、街を歩いているといつものように通りすがりのおばさまに「可愛い乳母車ですね」と声をかけられました。

家内とおばさまが大人同士の会話をしていると、そこへ割り込むようにして乳母車の中の長男が手づくり幌をしきりに叩いて何かを伝えようとしています。通訳すると「ねえ、ねえ、これを見て!僕の乳母車にはちゃんと幌が付いているんだよ」と誇らしげにいっているのでした。(この幌がのちにプスプスの幌の原形になりました。)

仲良く2人乗り

乳母車は頑丈で安全です。

赤ちゃんの周囲を籐の壁ががっちりガードしているので、極端な話、車がぶつかっても赤ちゃんの直撃を防げます。交通量の多い場所でも安心感があります。また、フレームがしっかりしていて安定感があるので押しやすいのも特徴です。折畳式ベビーカーは出産祝いに頂いたものを持っていましたが、へなへなした押し心地が気に入らず、子供も乗りたがらないので2,3回使っただけで仕舞い込んでしまいました。

長男の2年後に生まれた長女も同じ乳母車を使って育てました。子供たちと近くの公園に行くのが日課になりました。行きは、カゴの中に長女を乗せ、お昼のお弁当やお菓子、ピクニックシートなども一緒に積み込みます。部屋の中で外出の準備ができるのでラクチンです。お兄ちゃんは歩けるので乳母車の近くで元気に走り回っています。公園についたらお弁当を食べたりしながら思う存分遊びます。夕方まで遊んで、帰る頃になるとお兄ちゃんが眠くなってしまい、カゴの中で兄と妹が並んで寝てしまうことがよくありました。私たちにとって「2人乗り」は当たり前でした。そうした楽しい思い出の日々が続きました。

2.次男の誕生記念に開発開始

乳母車生活が始まってから5年目に3番目の子が生まれました。長男より5歳下、長女とは3歳違いの男の子(次男)です。また乳母車の出番がやってきました。

「5人家族になるとは思わなかったね。にぎやかになりそうだ。この子の誕生記念に何かしてあげたいね」。ある晩、3番目の赤ん坊を前に家内と話をしていてふと思いつきました。「そうだ!今までの経験を活かしてこの子のために特製の乳母車を作ってあげよう」と。

私は、子供の頃から発明好きな性分でした。いくつか小さな発明をしたことがあります(どれも実用化には至りませんでしたが)。発明好きがもとで当時は特許事務所に勤務していました。研究開発の現場に近い所にいましたし、何よりも5年間の育児ノウハウを活かせば「もっと使いやすい乳母車ができるのではないか」と思ったわけです。ほんの軽い気持ちでした。開発予算は思い切って50万円。

アイデア続出

アイデアは次々に出てきます。

・レトロな雰囲気を守りつつモダンなデザインにする

・車に積みやすくするため、台車とバスケットをセパレート式にする

・故障しない構造にする

・車体を軽量化する

・車輪をインテリアとして通用するデザインにする

・幌を扱いやすくする

・操作しやすいストッパをつける

・赤ちゃんに不快な振動が伝わらない構造にする

・ハンドルのデザインをスマートにする

・グリップは天然素材にする

ざっと20種類ぐらいのアイデアを思いつきました。

私たちの使っていた乳母車は、昭和の初期ぐらいから技術革新がなされておらず、いろいろな意味でドン臭いものでした。それを普段の乳母車生活で「こうすればいい」と感じていたことで改良するのですからアイデアはいくらでも出てきます。イメージ通りのものを早く完成させたいと思いました。

バスケットを8回試作

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    まず最初に手をつけたのは主役となる籐(とう)バスケットの製作です。東京・多摩地区で見つけた籐職人さんに試作を依頼しました。赤ちゃんらしい可愛らしさと現代的なスマート感を兼ね備えたバスケットが目標です。手書きのスケッチと主要部の寸法図面を渡して、あとは口頭説明です。

「全体として流線形で、こういうふうに前の方がせり上がっていて・・・」というような調子です。丁寧に説明したつもりでも、こちらに製作の知識がないこともあって、なかなかイメージが伝わりません。2回作ってもらいましたが、漁師が使う魚籠(びく)みたいなものになってしまいます。赤ちゃんを入れるよりウナギを入れたほうがいい。申し訳ないけどセンスが悪い。「こりゃあダメだ」と別の職人さんを探すことにしました。最初の最初で躓きです。

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    乳母車を見つけた愛知県なら相談できる人がいるかもしれないと思い、関係ありそうな店に片っ端から電話して「誰か紹介して」と頼んでみました。無茶なやり方ですが後藤さんという女性職人を見つけることができました。

ホテルで使う椅子やテーブルの製作をメインにしている人で、籐職人というよりはデザイナーです。失敗作の写真を見せて「今までにない乳母車を作りたい」と力説したところ「私も娘を乳母車で育てました。夢のあるお仕事になりそうですね。やってみましょう」と快諾してくれました。女性で、しかも乳母車の経験者ならいうことなし。この人なら細かいニュアンスも分かってもらえるに違いありません。

しかし、今回も思うように進みません。

宅急便で送ってもらった試作バスケットに検討を加え、修正図面を電話とFAXで伝えます。それをもとに2週間ほどかけて作り直してもらい、また宅急便で送ってもらうという作業を繰り返しました。現物を前にして話したい時は出張もしました。注文をつける方は簡単ですが、作る方はさぞかし大変だったでしょう。

結局、ダメ出しが6回。「横田さん、もうやめにしましょうよ」と言われる頃になって、ようやく思っていたような形が完成したのでした。ウナギの魚籠から数えて8個目です。当時、3次元プリンタがあればもっと早くできたのに!

台車に2つの課題

思っていたようなバスケットができ、やっと車体の設計に進めるようになりました。この時点ですでに予算オーバーですが、とにかく1台完成させなければやり出した意味がありません。

まず、車体の大きさを決めます。電車の改札を通れる幅(54cm)、歩道と車道の段差(3cm)をスムーズに乗り越えられる車輪の直径(30cm)などを考慮すると設計は比較的簡単に進みました。いわゆるA型ベビーカーと同じぐらいの寸法に落ち着きました。社会的制約のあるほうが数値を決めやすいです。

台車設計には2つの課題がありました。

①(バスケットと台車の)着脱機構

②緩衝機構(サスペンション)

どちらも家内のひと言がヒントになりました。

着脱脱機構については、「主婦が使うんだから簡単に操作できるものじゃないとダメ。工具箱の蓋の開閉に使う部品、上の蓋にリングを引っ掛けて親指で下側へ引っ張って止める金具(=パチン錠)があるけど、あれはどう?」といわれて納得。確かにパチン錠は操作が簡単だし、古くからある製品なのでほとんど故障しません。使い勝手も良く、一発で採用。

いきなり描かれたバッテン

次は、サスペンション(緩衝装置)です。

乳母車は、19世紀のイギリスが発祥の地といわれています(発明したのはアメリカ人)。

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    産業革命が生まれた国とはいえ当時の工業技術は、現代日本の技術水準から見るとお粗末といわざる得ません。フレームは鉄と木を組み合わせたもの。緩衝装置に使う板バネや巻きバネも鉄製でかなりの重量物です。アルミやプラスチックのない時代ですから、ごつくて重いものになってしまうのは当然です。しかも、カゴが浅くて新生児にしか使えません。

この時代の乳母車が有名になってしまったおかげで「乳母車は大きくて重いもの」というイメージができ上がってしまったのでしょう。

緩衝装置というと、普通はバネ式が頭に浮かびます。私も最初は、バネ式を考えていました。しかし、バネ式は「ぼよよよーん」という感じの、なかなか減衰しないふわふわクッションになりがちです。また、フレームの四隅を巻きバネで支持する構造にすると、ベッドのようなありきたりのデザインになってしまいます。そこで、U字形に曲げたパイプでバスケットを支え、途中を板バネで衝撃吸収する台車を考えてみました。

デザイン画を家内に見せたところ、「・・・」。どうも気に入らないようです。

いきなりバスケットと車輪の空間にバッテンを引かれ「こんな形にならないの?」といいます。なんて乱暴な!人が苦労して考えた図面なのに!

「うーん、X脚か・・・」。

この形にすると脚パイプの交差部に荷重が集中するためアルミパイプは強度不足で使えず、ステンレスパイプ(加工が難)にする必要があります。また、今まで考えていたのとはまったく違う緩衝機構を考え出さねばならず、大変です。ただ、確かに、デザインはすっきりします。

「なるほど。かなり難しそうだが、あなたのいうことにも一理ある。では、デザイン優先でやってみるか」。こんな調子で、家内の大胆なアイデアが採用に至りました。もともと乳母車の第1発見者は家内であり、ご意見を尊重しなければならないという特殊事情もありますし・・・。

バッテンから生まれたサスペンション

こうしてⅩ脚を前提としてサスペンション(緩衝装置)を考えることになりました。

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    X脚の下側には4個の接地車輪があるわけですが、その反対側(上端)に小径車輪を2個・1対で配置します。こうすると下側は直径30cmの接地車輪を持つ「4輪車」、上側は直径3cmの小径車輪の「8輪車」になります。そして、上側の8個の小径車輪でフレームを支えれば、路面の衝撃は8個の小径車輪に分散されます。

たとえば、台車の左側の前車輪が小石を踏んだ場合、左前の車輪は瞬間的に跳ね上がります。その衝撃の大半は、X脚の反対側にある2個の小径車輪に伝わります。小径車輪は2個ですから衝撃として伝わるの量は半分以下になります。

この時、Ⅹ脚はその交差部でもう1本のパイプとつながっていますので、そこからも衝撃の一部が伝達されます。そして、2個の小径車輪に伝わります。

さらに、X脚に結合している車軸からも反対側のⅩ脚に衝撃の残り部分が伝わります。

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    このように左前輪で発生した衝撃は、合計8か所の小径車輪に分散しながら伝わることになるわけです。これは自動車の4輪独立懸架機構(4つの車輪が独立に衝撃を吸収する機構)と似た動きをします。小径車輪を適度な減衰作用を持つゴム製にすればバネのような「ぼよよよーん」とした振動にはなりません。

こうして家内の引いた「バッテン」のおかげで意外なサスペンションが生まれたのでした(この機構は東京発明展'96で「奨励賞」を受賞しました)。

3.事業化へ

台車につける車輪は、プラスチック成形にしたいと思っていました。

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    我が家で使っていた乳母車の車輪は、鉄製リングと鉄製スポークに硬質ゴムタイヤを組み合わせたもので、すごく重いものでした。プラスチックにすれば断然軽くなります。金メッキを施してインテリアとして通用するようなものにできます。外で使用する乳母車を室内に入れるなんて、土足で家に上がるようなものですから普通では受け入れがたい話ですが、金メッキなら汚らしくありません。しかも、スポークやハブをスマートな形状に設計できます。

このようにいいことずくめのプラスチック車輪ですがひとつ大きな問題点があります。成形用金型の製作費が数百万円もすることです。そして、費用がかかるので法人でなければ取引に応じてもらえません。この頃から事業化を意識するようになりました。

さて、バスケット、着脱機構、サスペンション、車輪などのパーツがそろったら、いよいよ台車にバスケットを乗せた本体の試作です。これについては父のコネで自動車部品会社の力を借りました。開発部にお願いして台車フレームを試作してもらったのです。図面があれば、金属加工はそれほど難しいものではなく、おおよその形が比較的短期間で完成しました。ここまでくればあと一歩、ストッパを作れば完成です。

踏むだけのストッパ

ストッパの開発には手こずりました。

一般に、ベビーカーには、ゆるやかな傾斜面で停止した時、勝手に走り出さないようにするための「ストッパ」が必要です。従来のストッパは、後輪の近くに前後に傾くシーソーペダルがついていて、ペダルを踏むと車輪と一体の歯車にピンが噛み込んで停止させ、そのペダルをはね上げると停止状態が解除できるようになっています。

この「はね上げ動作」は不快です。特に、ハイヒールやサンダル履きの時、つま先ではね上げるのは嫌ですから、お母さん方は「しゃがんで指先ではね上げる」という動作を強いられていました。この「はね上げ動作」をなくしたい、「踏んで停止。解除する時も踏むだけでよいストッパ」を作りたいと思いました。

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    ヒントになったのは「ノック式ボールペン」です。頭を押すと芯が出て、横の突起を押せば芯が引っ込むタイプです。この頭を押す部分が停止ペダルだとすると「横の突起」が解除ペダルになるはずです。そこで、停止ペダルを上下にスライドさせると、それに連動して解除ペダルが動くストッパを工夫しました。

写真のように、停止ペダルを踏む前は、犬の鼻みたいな部品が停止ペダルのピンに寄りかかっています。停止ペダルを踏むと、犬の鼻が回動して、鼻の下がピンに引っ掛かります。次に解除ペダルを踏むと、鼻が逆方向に回動してピンからはずれ、停止ペダルは元の位置に戻ります。これで「踏んで停止、踏んで解除」が実現できるようになりました。第1段階を突破です。

まだ完成ではありません。

従来のストッパは、左の後輪と右の後輪にそれぞれ一個のペダルがついていて、両方を別々に操作しなければなりませんでした。つまり「踏んで停止、はね上げて解除」を2回しなければならなかったのです。これは不便です。そこで、停止ペダルに長いスライドピンを取り付け、一度踏めば左右の車輪を同時に停止できるようにしました。これで2回の操作が1回でできるようになりました。第2段階を突破。

まだ完成ではありません。

車輪の歯車にスライドピンが引っ掛かる仕組みを外から見えないようにしたいと思いました。そのほうがスマートですし、歯車の隙間に異物がはさまって故障するのを防げるからです。

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    そこで、やや大きめの円筒の内側に歯車を作り、そこにスライドピンを引っ掛けるようにしました。これならピンと歯車は円筒の内側に納まり外からは見えません。「機能とデザインの調和」。

これでやっと完成です。

ハンドルの曲げ方にノウハウ

カゴと台車とストッパが完成。最後のハンドルもちょっと手間取りました。

上側に幅の狭い平行バー、下側に幅広の平行バーがあります。両者を横から見た時、一直線に見えれば外観がスマートになります。それにはパイプの曲げ角度を微妙に調整する必要があります。パイプ加工会社に図面を見せると、「途中が捻じれているじゃないか。こんな形には曲げられないよ」といいます。そんなはずはありません。計算してみたら、1回目に曲げた後、パイプを少し回転させてから特定の方向に曲げればよいと分かりました。

今ならCAD(コンピュータ設計)を使って簡単にできてしまう話ですが、プロにできないといわれた問題を解決してちょっぴり自信を得ました。工業デザインが面白いと感じるようになった瞬間です。

グリップは試行錯誤

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    お母さんの手が触れるグリップは天然木にこだわりました。グリップ棒の直径や形状は少し変わっただけで感触が変わり、疲れやすさにも影響します。家具の手すりなどを参考にして、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返しました(写真)。

4.会社設立

カゴ、台車、車輪、ストッパ、ハンドルなど主要部品の試作が終わるまでに3年ほどかかりました。3人の子供を乳母車で育てた経験をベースに、良いものができたという手応えを感じて「これなら理解してくれる人がきっといるはず」と思い製品化することにしました。

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    もっとも社会的に通用する製品にするには専門家の力が必要です。アルミ鋳造、ゴム・プラスチック成形、パイプ加工、板金・プレス加工、溶接、ステンレス加工、縫製、などで協力してくれた会社は30社以上に及びました。日本には頼りになる会社がたくさんあるのでした。

会社を設立したのは1994年4月。実際に製造販売を始めたのは翌1995年の春からです。

「この子の誕生祝いに特製乳母車を作ってあげよう」と言い出してから丸4年が経っていました。当の次男はすでに幼稚園に通うようになっていて、結局、一度もプスプスに乗る機会はありませんでした(シンペイ、ゴメンネ)。

迷った社名・東京乳母車

会社の名前は当初「ベルシューズ」にしようと考えていました。フランス語で「子守唄」という意味です。優しい感じがしていいんじゃないかと思いハンコまで作りました。

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    しかし法人登記の直前になって迷いが生じます。無名の会社が「ベルシューズといいます。新しいタイプの乳母車を製造販売します」といっても誰も見向きもしないだろうと気がついたのです。もっと分かりやすく、初めての人にも覚えてもらえるような名前にしなければ・・。

いろいろ考えて「東京乳母車」にしました。直球・ヘタウマ路線です。

この社名、周囲の意見は散々でした。「なんじゃそれ」、「ずいぶん古めかしい名前ですね」、「はっきりいってダサイ」、「乳母車なんて死語だよ」といった調子で、8割以上が否定派です。ただ、ごく少数ですが「なかなかいいネーミングですよ」といってくれる人もいました。広告会社のM氏、経営コンサルタントのI氏などです。「8割の人が拒否反応を示すということは、見方を変えればそれだけインパクトがあるということだ。これで行こう」と決めました。

会社設立から20年経った今、「古臭い名前だ」という人は減ってきました。

「Tokyo Ubaguruma」 という英語表記にするとちょっといい感じです。なかには「今どき乳母車とは。とんがってますね」という人さえ出てきました。変われば変わるものです。♪ 回る回るよ 時代は回る。

「プスプス」を商標登録

次は商品名です。フランス語の辞書で育児に関係しそうな言葉を探していたら「poussse-pousse」という語を見つけました。「poussse-pousse」は英語でいうと「push-push」→「押す-押す → 乳母車」という意味の幼児語です。同じ音の繰り返しで覚えやすく、可愛いらしい。これは迷うことなく商品名として採用、商標出願を決めました。 一般に、「普通名称の登録は不可」という規定があります。本来であれば乳母車そのものを意味する言葉である「プスプス」を登録することはできません。特許庁に相談してみたところ、「プスプスがフランス語で、乳母車という意味があるなんてことを知っている人はほとんどいないでしょう。審査官は普通名称ではないと判断するだろうと思いますよ」といわれ、無事に登録できました。

いろいろな受賞

製品発表後、「プスプス」は、いろいろな賞を受賞しました。

最初は「東京都中小企業優良商品」という中小企業の新製品の品評会で第1位になりました(1996)。講評は「ありそうでなかった製品」というものです。「ちゃんと分かってくれたんだ」と、うれしかったです。

「東京発明展」では、振動を8か所のサスペンションに分散させる機構(疑似4輪独立懸架)で奨励賞を受賞(1996)しました。地味な発明ですがこちらも分かってもらえました。

賞とは別にベンチャー企業の補助金申請で各種の認定を受けることができました。ほとんどすべて、友人で経営コンサルタントの石渡草平氏のアドバイスによるものです。創業期はお金がかかりますから補助金には助けられました。

だいぶ後になって、「キッズデザイン賞」(2011)を受賞。「レトロ感を感じさせるベビーカーで、基本的な機能以外をあえて排除し意匠性にこだわった潔さがよい。セパレート式のバスケットは室内のゆりかごとしても使用可能で長く愛着を持って使える育児用品となるだろう」という講評を得ました。ヤッタネ!

ハガキで注文受付

会社作りを考え始めた頃、販売は通信販売をメインにしようと早い段階で決めていました。ターゲットがはっきりしているので、赤ちゃん雑誌に広告を出せば広くアピールできます。マタニティー雑誌の読者はほぼ100%が妊婦ですから広告の効率も良い。雑誌広告を見た読者にカタログを郵送し、電話やハガキで注文を受けるという方法で始めました。

最初の雑誌広告は、味付け海苔ぐらいの大きさで目立ちません。それでもぽつぽつと注文が入るようになりました。初めて注文ハガキが来た時のうれしさと緊張の入り混じった感情を今でも覚えています。

5.小渕総理大臣御用達

有楽町の国際フォーラムで開催された「ベンチャーフェア」に出展した日のこと、私は朝寝坊をしてしまい、開場時間に遅刻してしまいました。会場に入るとブースの前に集まっていた背広姿の数人が走り寄ってきます。「横田社長ですよね。あ、あの、今日、小渕総理がこの会場を訪問することになりました。で、東京乳母車のブースにお立ち寄りになります。あと15分後ぐらいです。いやー、ブースに誰もいないんであせりましたよ」。

総理の視察は急に決まった話らしく、どのブースを案内したらよいかと事務局も慌てたようです。「東京都優良商品で第1位の東京乳母車ならよかろう」ということになったらしい。まったく突然の話です。

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    「こりゃ大変だ。何をしゃべろうかな」と思う間もなく総理の一団がやってきました。総理の後にテレビカメラと照明係、同行の政治家、事務方などがぞろぞろついてきます。台本もリハーサルもなしのぶっつけ本番、普段通りに話すしかありません。

    「この乳母車は、私の家の育児経験をもとにして開発したもので、育児の楽しさを感じてもらいたと思って作りました。自然素材である籐のバスケットと金色の車輪がアピールポイントです。厚生省の調査によると、最近の女性が子供を産みたがらないのは「育児に夢がないから」だといわれています。この製品を通じて、世の女性に「あの乳母車で子育てをしたい」と思ってもらいたいのです。赤ちゃんが1人生まれると、おむつや粉ミルクから始まっていろいろなものを消費しますから経済効果は大きく、景気対策にもなるのではないでしょうか」

などとお話ししました。ほんの2,3分です。総理から何を質問されたかは覚えていません。

小渕氏は、「平成」と大書した紙を掲げたソフトイメージの政治家と思っていましたが、最後に握手した時、スポーツマンのような握力だったのにちょっとびっくりしました。

数日後、「官邸までカタログを送ってほしい」という電話があり、1台をご注文頂きました。

子供の誕生祝いのつもりで始めたものがやがて製品になり、総理大臣と握手まですることになるとは・・。♪人生って不思議なものですね~

インターネットの登場

雑誌広告は、効果がはっきり出るというメリットがある反面、費用がかかります。また、「たくさん広告を出せば売れる」というものでもありません。何か良い手はないかと思っていたら、夢のような技術が出現しました。インターネットです。

ある日、車の運転中に「主婦がサークル活動のためにホームページを作りました」という話題がNHKラジオから流れてきました(信じられないでしょうが、当時は企業がホームページを作っただけで新聞記事になっていました)。「そうか、そんな簡単にできるものなのか」と思い、そのままヨドバシカメラへ直行しました。

購入したパソコンは、最新のOSであるウィンドウズ95を搭載。ハードディスク容量が1.2ギガバイトもあり、そのうち500MBをOSが占有しているという素晴らしいマシンです(笑)。しかもお値段はたったの46万円!

入門書でHTMLの書き方を学び、ダイヤルアップ接続でホームページをアップした時、わくわくしました。当時、「日本中にあるホームページの数は7,000ぐらい」といわれていた頃ですので早いほうだったといえます。

ホームページを作るのは楽しい作業でした。その後のIT技術の発展スピードにはついて行くのがやっとですが、あの時、乗り遅れないでよかったとつくづく思います。

改良は続く

製品の改良は今でも続けています。外観からでは分かりませんがたぶん100か所近く改良したはずです。

会社を作る前と後で決定的に違ったのは、ユーザーと「対話」しながら開発を進めるようになった点です。つかまり立ちフェンス、レインカバー、お昼寝カーテンなどのオプション品は、ほとんどすべてユーザーの要望で生まれました。実際に使っている人の意見に耳を傾けることで、独りよがりになるのを避けることができます。

たとえば、台車の下にセットする「荷物トレイ」はその一例です。 「台車の下側に荷物を置きたい」という声はずいぶん前からありました。そういう声には「荷物用ネットなどを付けるとデザインが損なわれます。荷物は赤ちゃんと一緒にバスケットの中に入れられますし、そのほうがスマートです」答えていました。しかし、ある時、双子育児のユーザーに「バスケットの中は2人の子供とその荷物でいっぱいです。せめて靴だけでも置けるようにしてほしい」といわれました。これはまったくおっしゃる通り。配慮が足りなかったと猛省しました。

ちょうどインドネシア工場に出張する時だったので現地で試作に着手しました。図面もなしですが、現場でやりとりしながら作るので圧倒的に早くできます。たった2日で出来上がった試作品を日本に持ち帰りました。そして、すぐにユーザーのご意見を聞き、それをもとに改良図面を工場にメール送信してスピード開発ができました。東京と愛知を往復してバスケットを開発していた頃と比べると何十倍も速くなりました。

6.人生の始まりの3年間

会社設立から20年が経ち、たくさんのユーザーと接するなかで、「人生の最初の3年間」に興味を持つようになりました。

のびのび寝られる、2人乗りができる、人込みでも安心、ぐずった時でもプスプスに乗せると機嫌が良くなるなどの特徴を、たくさんのユーザーに認めてもらい、支持を得てきました。ありがたいことです。

そうしたなかで、最近、そうしたベビーカーとしての使い勝手(便利さ)とは別の要素がより重要なのではないかと思えてきました。

たとえば、「母と子の心の交流」。

プスプスの育児では、赤ちゃんが8か月~1歳ぐらいになると「チャイルド・フェンス」を取り付けるようになります。カゴの周囲を20cm高くして転落を防止する安全枠です。このフェンスをつけると、子供はつかまり立ちするのがよほど楽しいらしく、お散歩の間中、ずっとつかまり立ちをするようになります。乳母車が動くと景色が変わるのでちょっとしたアトラクションみたいになるわけです。珍しいものを見たらうれしそうに「あっ、あう」とお母さんに呼びかけます。お母さんが笑って応えてくれればもっとうれしい!

そうした「共感」は子どもにとって心の栄養となり、母と子を仲良しにする作用を持ちます。対面式でないベビーカーでは心の栄養が足りず、仲良しになる機会が失われるということはないでしょうか。

使わなくなったプスプスは、リサイクル品用に下取りをしていますが、わずかな台数しか戻ってきません。

「思い出が詰まっているので手放したくない」

「友達が使わなくなったらほしいというので譲ってしまった」

「プスプスを下取に出すと言ったら子供が泣き出してしまった」

「将来、孫が生まれたら乗せたいので納戸にしまってある」

などといった理由です。「親子の思い出の品」になっているわけです。手離すことになった人も「楽しかった頃の記憶が甦り、思わず涙が出てきた」という人が少なくありません。

下取り品は、平均して5~6年間使用され、2~3人のお子さんを育てたケースが多いです。

つかまり立ちの効用

先日、つかまり立ちについて興味深い話を聞きました。

あるマンションで、同じ時期に出産した2人のママさんがいました。

一人は乳母車、一人は折畳ベビーカーで育ちます。1歳ぐらいになって子供が歩くようになったある日、ベビーカーのママさんから「お宅のお子さん、歩くのが上手ですね」と乳母車のママさんはいわれたそうです。いわれてみると、確かに乳母車育ちのわが子のほうが安定感があり、歩く姿勢も良い。どうやら、日常的につかまり立ち運動をしているうちにバランス感覚が養われ、脚力も強くなったらしい。「乳母車の中で、遊びながら自然に発育してきた」ということに気がついたというのです。

私が家の子供たちも乳母車に乗っている時はいつも動いていました。カゴの中をぐるぐるつたい歩きをしたりして、最後は汗びっしょりです。あの運動量は、体育会のクラブ活動に匹敵するはずです。そうした「日頃の訓練」があったからこそ、歩けるようになってからの差が出てきたのだと思います。

赤ちゃんの自己表現

プスプスをベビーベッドとして使っていたお母さんの話にはもっと深く考えさせられました。

生後2ヶ月ほどになり、そろそろ外の散歩に使用したいと思い、初めてプスプスを外へ出た日のこと。外へ出たとたん、赤ちゃんが泣き出してしまいました。その様子は、「非常に不機嫌」としかいいようがないものでした。その日は泣いてばかりでした。

「せっかくお散歩に連れて行ってあげたのに、なぜあんなに不機嫌だったのだろう」、お母さんは夜遅くまでその原因を考えたそうです。普段なら、プスプスに乗せて揺らしてあげるだけでおとなしくなるのに、今日はまったく逆だった。なぜだろう・・・。

で、ふと思ったのは「今までは、家の中だけで寝かせたり、移動するのに乳母車を使っていた。それを外へ持ち出したことがこの子には不満だったのではないか」ということです。

次の日、お母さんは赤ちゃんに話しかけました。「あのね、この乳母車は、もともと外で使うものなの。今まではお部屋の中だけだったけど、これからはこれで一緒にお散歩しましょうね。家の中でも外でも、これがあなたのものであることに変わりはないのよ」とゆっくり時間をかけて説明したのだそうです。

すると「ちゃんと話が通じた」らしく、その日からはゴキゲンでお散歩ができるようになったのでした。
言葉の分からない赤ちゃんですが、その内側では、知性も感性もしっかり働いているわけです。

「相手は赤ちゃんだから何も分からないだろう」などということはありません。

「あっ!危ないですよ!」

このお母さんの話を聞いた時、「ニキーチン夫家内と7人の子ども」(暮しの手帖社)という本に書かれていたエピソードを思い出しました。

赤ちゃんに「危ないもの」を教える方法です。

赤ちゃんが興味を持ちそうなきれいな待ち針を用意します。

赤ちゃんが針に手を伸ばそうとした所で、お母さんは、目を丸くして「あっ、大変!あぶないよ!」と心配そうな顔をします。真剣かつ大げさな表情で。赤ちゃんは驚いて手を引っ込めるはずです。

次に、針の先を赤ちゃんの手にほんの少し「チクッ」と感じる程度に当てます。びっくりして泣き出すかもしれません。でも、これで「針は痛いもの」と覚えてくれればしめたもの。お母さんの見ていないところで針に触ってしまう危険を避けることができるようになります。

同じようにアイロンが熱いものであることも教えることができます。ヤケドしない程度に暖めたアイロンに赤ちゃんの手を触らせるのです。「あっ、熱い!熱いですよー」と思い切り心配そうな表情で。(包丁やフォークでも応用がききます)。

おとなしい子供たち

渋谷店ではユーザーの皆さんと雑談をする日があります。その日、大人5組と0~5歳の赤ちゃんと子供6,7人が集まって、おしゃべりをしていました。もう2時間以上が経った頃、普通なら同じ場所にいることに飽きてきて、ぐずったり泣いたりする子が出てくるはずなのに、そういう子が一人もいないことに気がつきました。

「狭い部屋にこれだけの子がいるのに、みんなおとなしいですね」と私がいうと、1人のお母さんがいいました。「そうなんです。プスプスだと落ち着きのある子に育つ気がします」といいました。「自由に寝返りを打ったり、お座りをしたり、つかまり立ちしたりできるのでストレスがないからでしょうかね」などとほかの皆さんも同感です。「そうか、そんなことがあるのか」。私は、何か大きな発見をした気がしました。母と子の共感が仲良しを育む心の栄養であるように、のびのび楽しく育つことで人間性の深い所に栄養が行き届き、「落ちつきのある子」になるのでは、と思ったのです。

♪回る回るよ時代は回る♪

0~3歳までの3年間は、人生の始まりのほんの短い期間です。この時期、周囲の大人は、ともすれば「かわいい、かわいい」というだけの対応をしてしまいがちです。しかし、赤ちゃんはお人形ではありません。内部に成長のエネルギーが満ち溢れている生き物なのです。筋肉と神経と内臓、そして脳が日々発達し続けています。赤ちゃんは、自分が生まれた所(地球)がどんな所なのか、周囲にはどんな人や動物、物や出来事があるのか、感性を研ぎ澄ませながら全力で知ろうとしています。

また、赤ちゃんは言葉を話せなくても(というより話せないからこそ)、大人が何を伝えようとしているのか全力で理解しようとしています。赤ちゃんの中にはそういうものすごい精神エネルギー(知性と感性)が働いています。そういうことを思う時、窮屈な椅子に小さな車輪をつけて運ぶカートには疑問を持たざるを得ません。折畳椅子は、体育館に並べて使うには便利だと思いますが、お客様をおもてなしする応接室には不向きなのではないでしょうか?

この辺りのことを世界中の人々が間違えている気がしてなりません。

太陽のきらめき、皮膚をなでる風、温かい空気、冷たい雨、ふかふかのお布団、お母さんのやさしい声、籐の編みカゴのすべすべごつごつした感触、そういうものすべてが精神の栄養となって赤ちゃんを成長させます。路面の照り返しと排気ガスの中をガタガタ搬送される3年間と、プスプスに乗ってのびのび過ごす3年間は、その子の未来に大きな影響を及ぼす可能性があります(科学的根拠はありませんが)。

時代は変わります。「今どき折畳式なんか使っているの?」という日が来ないとも限りません。

7.アメニティ社会に向けて

PINK canopy

道具と人間の間には「相互作用」があります。良い道具は、使う人に「心地よい感触」(アメニティ:快適さ)をもたらします。そうしたアメニティ製品を使っていると気分が穏やかになります。「快適な切れ味」の包丁を使っていると料理をするのが楽しくなります。楽しく料理をしているうちに、料理に対する感性が徐々に高まり、料理の腕も上がってきます。そして、料理の腕が上がれば、プロの板前さんが持つ名人級の包丁が欲しくなります。

良い道具 → 感性を刺激 → もっと良い道具 → もっと高い感性へ

という相互作用が生まれるわけです。楽器と演奏家の関係にも似ています。要するに進化するのです。 まったく逆の現象もあります。書き心地の悪いボールペンを使っていると、人はイライラして怒りっぽくなったりします。足に合わない靴を履いていると姿勢が悪くなり、長い間には性格や人相まで悪くなります。道具が人間精神を歪めてしまうわけです。たかが道具、されど道具。

育児の道具であるベビーカーも同じです。私たちがこだわってきた「乳母車」は、赤ちゃんにとって快適な「乗り心地」を提供し、お母さんには快適な「押し心地」を提供する良い道具です。快適な押し心地でお散歩をしていると、快適な乗り心地に赤ちゃんがニコニコし、言葉にならない「精神のアメニティ」をもたらします。

産業革命直後に生まれた乳母車は、当時の工業技術で制約されたアメニティの水準に達することしかできませんでした。 しかし、高度産業社会に到達した現代日本の先進技術を駆使して乳母車を進化させ、生活の豊かさに貢献して行くことは十分に可能だと考えます。

「親と子の心が共鳴してうっとりするような時間が生まれる」ーーそういう製品を提供してアメニティ社会の発展に貢献して行きたいと願っています。